バイクの始まり
世界初のバイクは蒸気機関を搭載したもので、フランスの技術者によって作成をされました。 今は鉄製の車体フレームが一般的ですが、当時は木で作られた木製フレームで、車体の中央に小型化した蒸気機関が取り付けられていました。
その後、現在のガソリンを使った内燃機関によるバイクは、後にハーレーダビッドソン社を設立することとなるアーサー・ダビッドソンとウイリアム・ハーレーによって造られました。
バイクが普及する前までは、裕福な人が個人単位で移動するのは馬の背に乗る乗馬での移動が一般的でした。 ですが、バイクは移動速度が馬より早い事、また生き物だと日頃から餌を与えたりと世話をする必要があるがバイクだとメンテナンスが楽なことなどから、馬の代わりとしてバイクは広く普及をすることとなりました。
日本での発展
世界的に見ると、日本には、ホンダとスズキ、そしてヤマハとカワサキという4大オートバイ製造メーカーがあります。 現在のグローバルなオートバイ市場を見てみると、日本車のシェアが高く、圧倒をしています。
ここでは、世界的なバイクブランドを輩出した日本での自動二輪車の発展についてみていきましょう。
日本で初めてオートバイを作成したのは、あまり知られていませんが紫義彦と言う方です。 1898年に作ったオートバイが日本初で、その車体の写真は今でも現存をしています。
日本で使われていた初期のバイクは、海外から輸入をした外国産のものでした。 日本では、実用に耐え得るだけのバイクを作成する技術がなかったためです。
その後、国内で本格的にバイクが製造・販売されたのは1933年になります。 開発メーカーは宮田製作所で車種はアサヒ号A型と呼ばれました。
第二次世界大戦中は、バイクの製造ラインは軍需品の製造に使われたため、バイクの生産量は大幅に減りました。 その後、終戦を迎え、当時のGHQに飛行機と自動車の開発を禁止されたため、多くのメカニカルエンジニアがオートバイ業界に流れ込みました。
その結果、多くのオートバイ製造メーカーが国内に誕生をしました。 当時はスクーターがメインで製造を行われていましたが、販売価格が高額なため、後に低価格商品として自転車に補助動力を取り付けたバイクモーターが製造されています。
この頃にホンダやスズキもバイクモーターの販売を開始しました。 ホンダはその後、世界的に有名なバイクレースであるマン島TTレースに参戦し、1961年には優勝をもぎ取りました。
その頃から、他の国内バイクメーカーも積極的に世界的なバイクレースに参加するようになり、日本勢がレース結果の上位を占める様になりました。 世界的にも日本のバイクの優秀性が認められた結果、バイクの輸出にも拍車がかかり、日本は世界的なオートバイ製造国となりました。